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トラークル『滅び』について
滅び(Verfall)
夕べ、鐘の音がやすらぎを告げると、
私は鳥たちのすてきな旅路のあとを追う。
それは、つつましい巡礼の列にも似て、長くつらなり、
秋の澄んだはるけさの中に消えてゆく。
たそがれ満ちる庭をさまよい、
私は鳥たちの、明るい運命を夢見る。
そしてもはや時の針の動くのを感じない。
そんなにも私は雲を越え鳥たちの旅路を追っている。
すると滅びを誘う気配が身をふるわせる。
クロウタドリが枯れ枝の中でなげく。
赤いぶどうは錆びた格子に揺れ、
また、青ざめた子供の死の輪舞のように
暗い泉のふちの朽ちてゆくまわりで
風に凍え青いアスターがうつむく。
(評)
明るい空のかなたに去ってゆく渡り鳥と
たそがれせまる庭にとり残される自分との対比が
テーマとなっています。
鳥たちが「明るい運命」を背負っているのに比べて
庭には「滅びを誘う気配」がしのび寄ります。
泉をめぐるアスターの花さえ
死におびえる子供の姿を思わせます。
トラークルがこの詩の中で
鳥たちに何をたぐえ
「私」に何を意味させようとしたのか。
正確なことは分かりません。
トラークルはオーストリアの歴史ある町ザルツブルクで
新興の鉄鋼商という
中産市民階級の家に生まれ育ちました。
しかし日本の高校にあたるギムナジウム第7年の
成績が悪く、留年の末、退学を余儀なくされました。
大学に進んで市民階級にふさわしい職業に就くという
コースがここで狭められます。
大学へ進むのに残された唯一の道は
薬学士の過程を専攻することでした。
この後トラークルは、死にいたるまで
市民階級の生活への入り口を求めて苦戦し続けます。
この詩は、そうした背景から見れば
難なく市民としてのコースをたどり続ける友人たちと
挫折した自分との対比として読むこともできます。
自分には暗い運命と死が待っているという予感が
後半部には支配的です。
もちろん、単に天上の鳥と地上の自分という
対比だけでも、じゅうぶん心にひびいてくる詩です。
トラークルが自分で編んだ詩集で生前に刊行されたのは
『Gedichte(詩集)』一冊のみです。
(死の翌年1915年に、
第二詩集『Sebastian im Traum(夢の中のセバスチアン)』が
出版されました)
この詩は、処女詩集に収められたものです。
→つづきをみる
Georg Trakl
夕べ、鐘の音がやすらぎを告げると、
私は鳥たちのすてきな旅路のあとを追う。
それは、つつましい巡礼の列にも似て、長くつらなり、
秋の澄んだはるけさの中に消えてゆく。
たそがれ満ちる庭をさまよい、
私は鳥たちの、明るい運命を夢見る。
そしてもはや時の針の動くのを感じない。
そんなにも私は雲を越え鳥たちの旅路を追っている。
すると滅びを誘う気配が身をふるわせる。
クロウタドリが枯れ枝の中でなげく。
赤いぶどうは錆びた格子に揺れ、
また、青ざめた子供の死の輪舞のように
暗い泉のふちの朽ちてゆくまわりで
風に凍え青いアスターがうつむく。
(評)
明るい空のかなたに去ってゆく渡り鳥と
たそがれせまる庭にとり残される自分との対比が
テーマとなっています。
鳥たちが「明るい運命」を背負っているのに比べて
庭には「滅びを誘う気配」がしのび寄ります。
泉をめぐるアスターの花さえ
死におびえる子供の姿を思わせます。
トラークルがこの詩の中で
鳥たちに何をたぐえ
「私」に何を意味させようとしたのか。
正確なことは分かりません。
トラークルはオーストリアの歴史ある町ザルツブルクで
新興の鉄鋼商という
中産市民階級の家に生まれ育ちました。
しかし日本の高校にあたるギムナジウム第7年の
成績が悪く、留年の末、退学を余儀なくされました。
大学に進んで市民階級にふさわしい職業に就くという
コースがここで狭められます。
大学へ進むのに残された唯一の道は
薬学士の過程を専攻することでした。
この後トラークルは、死にいたるまで
市民階級の生活への入り口を求めて苦戦し続けます。
この詩は、そうした背景から見れば
難なく市民としてのコースをたどり続ける友人たちと
挫折した自分との対比として読むこともできます。
自分には暗い運命と死が待っているという予感が
後半部には支配的です。
もちろん、単に天上の鳥と地上の自分という
対比だけでも、じゅうぶん心にひびいてくる詩です。
トラークルが自分で編んだ詩集で生前に刊行されたのは
『Gedichte(詩集)』一冊のみです。
(死の翌年1915年に、
第二詩集『Sebastian im Traum(夢の中のセバスチアン)』が
出版されました)
この詩は、処女詩集に収められたものです。
→つづきをみる
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